ひろしMAGAZINE

[コラム]広島ジン、故郷(ヒロシマ)に帰る ~東京10年、ワシントンD.C.経由~ 第1話

第1話:8・6生まれの広島ジン、東京で故郷(ヒロシマ)にめざめる

8月6日午前8時15分。休日だろうが、前夜飲みすぎていようが、広島ジンとしてこの日ばかりはせめて布団から起き上がって、テレビの式典中継に合わせて黙とうしなくては。リモコンリモコン。スイッチオン…と、なんねー民放どこも中継しとらんじゃん。

そう、東京の8月6日は、8月5日と7日の間の日。広島で8月6日といえば、子どものころから式典には参加しないまでも、登校日で、特別な日でした。小学校の教室には「はだしのゲン」が置かれていたし、折り鶴だって何度も折りました。

誕生日を聞かれた際にも「広島に原爆が落とされた日なんです」といえば(実は8月6日生まれなのです)、「そうか、8月6日か。すごい日に生まれたねえ」という会話が成立したものですが、広島を離れると「えっと、8月9日だっけ?あれ、15日?違う?あ、6日か。じゃあ9日と15日は何だっけ」「…9日は長崎で15日は終戦の日です」となり、なんだかバツが悪そうな相手を前に、普通に答えておけばよかったと後悔したものです。最初は驚きましたが、よく考えれば無理もないこと。広島の人が、沖縄終戦の日(慰霊の日・6月23日)や、東京大空襲の日(3月10日)を即答できるかというと、必ずしもそうではないかもしれません。

でも、だからこそ、広島で生まれたり、育ったり、広島が好きだったり、関わりがあるからこそ、8月6日を「5日と7日の間のただの1日」にしてはいけない。広島から離れて初めて、ともすれば8月6日を漫然と過ごしてしまう危険に気付きました。そして、それまでの自分がいかに受け身だったかに思い至ったのです。遅ればせながら芽生えた「広島ジンとしての自覚」でした。

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「ヒロシマ」をつないでゆくため、何か自分にできることを見つけて、行動したい

自覚は芽生えたものの、具体的に何をするわけでもなく過ごしていたころ。当時一緒に番組を作っていたキャスターで本職は新聞記者の方から、「広島出身だったよね。広島がらみの話があるので、取材してみない?」と教わったのが、「広島愛の川プロジェクト」です。

「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんが唯一遺した詩、「広島愛の川」に、作詞作曲家の山本加津彦さんが曲をつけ、加藤登紀子さんが歌うというものでした。同年代で大阪出身の山本さんは、「広島出身でもなく、親戚に被爆者がいるわけでもない自分が作っていいのか」と悩んだことを明かしながら、「詩を読んだとき自然に曲が浮かんだ。この詩を次の世代へとつなぐためにも、今30代の自分が曲を作り、長い目で活動を続けたい」と語ってくださいました。「はだしのゲン」の怒りをぶつけるような作風とは異なり、「広島愛の川」は、怒りと悲しみに加え、“優しさ”がキーワードとなっています。山本さんの曲も、雄大でありながら深く心に染み入るような美しいメロディーが印象的。通常、作曲家は曲を書いたらそれで終わりですが、「広島愛の川」に関しては、山本さんは歌い継いでもらうための活動にも力を注いでいます。それが、被爆70年の2015年8月6日、加藤登紀子さんらと子どもたちが原爆ドーム対岸で「広島愛の川」を歌うというプロジェクト「広島愛の川プロジェクト」です。

山本さん自ら楽譜を持って学校を訪ね歩き、広島市と交渉し、紆余曲折の末実現した光景を目の前にしたとき、「ヒロシマ」をつないでゆくために、微力だろうけれども、何か自分にできることを見つけて、行動したいと強く思いました。と同時に、広島に生まれ育ったことに知らず知らず胡坐をかいていて、自分がいかに広島のことを知らないか、恥ずかしく感じました。

これが、東京10年目、去年の夏。まさか半年後に広島に帰ることを決め、東京生活卒業旅行と称してワシントンに旅立つことになろうとは思ってもいませんでした(笑)。

~つづく~

コラム:広島ジン、故郷(ヒロシマ)に帰る ~東京10年、ワシントンD.C.経由~
  1. 8・6生まれの広島ジン、東京で故郷(ヒロシマ)にめざめる
  2. 広島ジン in ワシントンD.C.
  3. ワシントンD.C.から広島へ 世界が注目するなかで

注)一個人としての広島ジンが体験した範囲での個人的な意見です。ご了承ください。

writer紹介

長通 麻弥(ながどおり・まや)

東広島市出身。大学卒業後、広島の放送局でスポーツ・報道を担当。 30歳を前に自分探し症候群にかかり、「スペイン行きます」と退職。 スペインに10か月、イングランドに2か月滞在したのち帰国。 名古屋(1年)を経て東京に居を移し、再び番組制作の道に舞い戻る。 東京でスポーツ・報道・情報番組に携わること10年、 この4月から広島に戻り、主に広報番組を制作しています。 もうちょっと計画的に生きたいと思いつつ、行き当たりばったりな人生を送っています。

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