カルチャー

「コラム」WIDE ISLAMD石原智弘「日米の歴史的1年とお好み焼き」前編

僕がハワイと出会ったきっかけ

地元・広島県北部の名物『乳団子』がハワイにあると聞き、なぜハワイにあるのか、広島のルーツを自分の目で確かめたいと思い、ハワイ行きを決めました。 この話を折り鶴の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの甥の佐々木祐磁さんに話したところ、それは広島から移民した人たちが残したものだという事を教えていただき、
その広島から移民した人たちの団体であるホノルル広島県人会の存在と、その幹部の方たちも紹介するからぜひ訪ねてみたらというお話を頂き、 初めてのハワイ入り初日にホノルル広島県人会の方達と出会うことになったのです。

いちばん驚いたのは、広島出身者、広島県人の二世、三世の方達の多さです。

お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが広島から移民してきたという人が大半で、みんな英語と広島弁を喋るので、本当に不思議な感覚でしたが、同じルーツを持つ仲間ということもあり驚く程に親しみやすく、すぐに仲良しになりました。 先ずは、なぜハワイに地元名物の乳団子があるのか、それを知りたかったのもありJapanese Culture Center of Hawaii (ハワイ日本文化センター) で、広島の人たち、日系人の方達の移民の歴史を学びました。

佐々木祐磁さんと
佐々木祐磁さんと

そこには、出稼ぎに来た広島の方達の苦労や苦悩の日々が綴ってあり、僕たちの知らなかったハワイの歴史、日系人の方達の歴史があり、 事実を、歴史を知ることでハワイへ対する想いが180度変わりました。
そんな中で、ホノルル広島県人会のメンバーはとても結束力が強く、毎週のミーティングをするなど、僕たち以上の広島愛に溢れていました。
そんな中で一番強く感じたことは、僕たち東京広島県人会や広島出身で東京や地方で活躍する広島県人と、故郷を想う気持ちは同じということ。

ハワイの方々との交流と真珠湾の見学、お好み焼きを焼いて・・

もっと、このホノルル広島県人会とたくさんの広島県人、日本の方達と交流してほしい。
そう強く想い、積極的に文化交流をしていきたいと決意しました。
それから年に数回、東京在住の広島出身者やウクレレ奏者、フラダンスの方達などハワイに関わっている方達にハワイ行きのお声がけをして、現地に招き、ホノルル広島県人会メンバーとのBBQ交流、島内散策をしました。

現地の方々との交流
現地の方々との交流

更には、真珠湾のアリゾナビジターセンター、戦艦ミズーリ記念館を見学し、終戦70年目の8月15日には、僕たちの折った千羽鶴を戦艦ミズーリ内の日本軍 零戦 展示コーナーに飾っていただきました。
記念館を見学して感じたことは、戦争によって被害を受けられたのは日本だけではないこと。
僕たちの知らなかったこの真珠湾でたくさんの命が奪われたこと。
日本軍による真珠湾攻撃も含め、戦争の悲惨さを改めて感じました。

ミズーリ記念館・ミズーリ号
ミズーリ記念館・ミズーリ号

2016年1月には、僕たち 株式会社WIDE ISLANDの社員研修、社員交流として現地の公園で開催のOhana Festivalで、ホノルル広島県人会の皆さんと僕たち社員とで広島お好み焼を作って販売し、 6時間で892枚を売り上げました!!
売上金はすべてホノルル広島県人会関係の学生さんたちの留学費用にあてるという素晴らしいイベントをお手伝いさせていただきました。

お好み焼きを892枚焼きました!
お好み焼きを892枚焼きました!

少しでも広島の食文化の発展と普及に繋がればという思いでお手伝いさせていただきましたが、現地の方達にすごく喜んでいただき、本当に嬉しく素晴らしいイベントになりました!

こうしてハワイを知り、実際に現地の方々とも触れ合うことで見えてきたハワイ。次回以降、2016年という日米にとっても広島にとっても歴史的な1年となったことについて書いていきたいと思います。どうぞご期待ください!

writer紹介

石原 智弘 (いしはら ともひろ)

広島県三次市生まれ、広島県庄原市育ち
幼い頃から新聞配達やアルバイトなど30種以上の職種を経験し辿り着いた、原点である故郷をもっと広めたいという想いを胸に上京し、恵比寿で広島県をコンセプトにした飲食店を展開する株式会社WIDE ISLANDを運営 ハワイ ホノルル広島県人会にも所属しており広島 東京 ハワイとの架け橋になれるよう日々走りまわっています。

URL
TBURL

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top