カープ

[コラム]カープ、25年ぶり悲願へ vol.5(最終回)”2013年CS初進出そして2016年・・悲願達成へ!!”

今日もゲームを勝ち取って郷土沸かせる栄冠の道をカープはまっしぐら

ついにカープのマジックも「2」となりました!
本日9/8に決まる可能性もあり、仕事や学業どころでない方々が沢山いらっしゃるであろうと察しています。

どこでどんな形でその瞬間を見届けるのか、ニュースをハシゴして、ビール掛けで監督や選手がどんな表情で何を話すのか、翌日のスポーツ新聞や中国新聞をどのように取り寄せるか、色々なことが頭中を駆け巡りますが、その瞬間を想像しただけで涙が止まらなくなりそうになります。ずっとずっと待ち続けたことですから。全然連絡をしていなかった旧友との久々の再会でテンションが上がるように、間隔が長ければ長いほど思いが強くなるもんなんだな、ということを本当に身に沁みて感じる最近です。

短期集中連載でマジック点灯からカープの25年と僕の25年をお届けしてきたこのコラムも最終回となります。前回は「僕が関西に住んでいたころ」の話で、ここからは東京生活・CS初出場、そしてそして・・!!!ということに移していきます。

転職して東京に出てきてから、「東京ドーム、神宮、横浜スタジアムもあり、関西以上にカープは観れるようになる」はずでしたが、慣れない生活もあり、最初の2年くらいは全く球場に行けず終いでした。2010年くらいだったでしょうか。ようやく時間にもゆとりが出来、友達に誘われたり誘ったりして神宮や横浜スタジアムにも行けるようになりました。しかし、思ったように勝てないのが関東。特に東京ドームでの観戦成績は燦々たるもので、2012年4月以来現在まで「連敗記録」を更新しています。カープファンの友達からは「お前が来ると負けるから来るな」と言われるまでになりましたが、願ったり叶ったりです。「東京ドームで勝てない人たち」を集めた「東京ドーム自主出禁の会」を結成するほどまでになりましたので(苦笑)2010年4月の伝説となっている「木村拓也選手追悼試合」も東京ドームで観戦しました。あの試合は今でも「一生涯忘れることはない自分史上最も悔しい試合」だと思っています。(記録に残したくないので、詳細は割愛させて頂きます・・)

2011年、2012年と「そろそろCSくらい出ときたい」という思いが一層強まったことや、マツダスタジアムになってからようやく落ち着いてチケットも取れるようになったことで、これまで以上にカープ観戦の数を増やしました。東京の居酒屋を貸し切って友達を呼び合い観戦するようになったのもこの頃からです。アメトークのカープ芸人や、カープ女子の増加が社会現象になり出したのもこの頃からだったように思います。多くの球場に繰り出したり、試合後球場の近くの居酒屋で知らないカープファンの方々と声を掛け合ったりしたことで友達も増え、観戦すること自体がより楽しくなっていったものでした。

CS初出場は「強くなるカープ」への序章だった

2013年。CSに初出場することが出来た記念すべき年。この年も球場観戦や居酒屋での観戦は多くこなしていましたが、3位とCS出場を決めた記念すべき9月25日ナゴヤドームでの中日戦の日、その瞬間はフットサルをしていました。フットサル仲間から休憩中に「カープ今どうなっとる?」と声をかけられるくらいには僕が「広島生まれ、カープファン」ということは知られるようになっていました。3位とCS出場が決まった瞬間、LINEやFacebookメッセンジャーでカープファン友達を中心に形成しているグループが大荒れでした。「こういうことになるんだな」実感が沸いてきたのも友達の会話を全て熟読した後でした。時を同じくして実家で飼っている愛犬がカープのユニホームを着た写真を母親からもらいました。「13歳にして初めてのAクラスを味わった愛犬」。カープは長かったBクラス常連に終わりを告げ、新しい時代が来る、と本気で思いました。フットサル仲間と飲みに行った後、帰宅して自宅で再度お祝いしました。けれど涙は流さず、爽やかな気持ちで一杯でした。(スポーツ観戦での号泣は1998年の長野五輪ジャンプ団体、2011年のなでしこジャパンが2強のままでしたし、カープの優勝まではそれで変わりないと思っています)ついに来たCSファーストステージの時期。ここはどうしても外せない仕事があり東京を離れることが出来ず、甲子園には出向けませんでしたので、近所の居酒屋を貸し切り、友達同士で観戦会を行いました。観戦会での阪神に勝った2戦目、大勢のカープファン友達の前では自然とボロボロ泣いてしまいました。泣くのが恥ずかしい、そんな気持ちなんて全くありませんでした。ですが、今から考えればCSファーストステージ勝利で流したあの時の涙は早計だったように思います。2014年暮の黒田投手のカープ復帰の朗報と最初の公式戦、新井選手の2000本安打に300本塁打、黒田投手の200勝、連日連夜の逆転・サヨナラ勝ちなど、今年2016年になってもカープ漬けで涙せずにはいられない毎日は続いております。球団の最多勝利数も更新し、初めて80勝に到達。「球団史上最も強いカープ」を記録上でも作ってくれました。

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写真(上):去年のGWは巨人相手に大勝しました。いつもこうして広島で、マツダスタジアムで楽しく野球を観れることに感謝です。

リーグ優勝にこそ価値があり、それを達成しようとしている・・!!

以前は130試合だったプロ野球、近年は交流戦も加わったことなどでペナントレース自体が140試合ちょっとで推移しています。(今年は143試合です。)CS、日本シリーズも加えると多い場合には160試合近くをこなすこともあり、昔とはペナントレースとプレーオフの在り方・重要性が変わっているように思います。個人的にはプレーオフのエンターテインメント性が増したからこそ、この「140試合のペナントレース」を制覇してこそ本物だと思うようになってきています。プロ野球選手名鑑やドラフトの順番、WEBで並ぶ球団別ニュースにしてもペナントの順位こそが全てですので。もちろん、日本シリーズを制覇し、「日本一」の称号を手にしてもらいたい気持ちは大きいですが、まずはこの「リーグ優勝」こそ大切なものなんだと思います。

リーグ優勝。セリーグ制覇。広島東洋カープ、25年ぶりのリーグ優勝、7度目の悲願。。球団歌「それいけカープ」の歌詞の4番、覚えていらっしゃいますか?

「晴れの暁 旨酒を酌み交わそう 栄冠手にするその日は近いぞ
 優勝かけて 優勝かけて 逞しく強く踊れ」

歌詞が現実になる瞬間を見届けようとしています。僕自身としてはこの4番の歌詞を覚えてから初めての歓喜の瞬間だと思います。
私事ですが、このコラムの2回目に原爆の話とカープの関連話のことで登場した祖母が今年の1月に他界しました。広島県三原市にあるもともと祖父のお墓に参る時「今年、カープは優勝するよ」「ごめんね、ダメだったよ」「今年こそやってくれるはずだよ」「またダメだった、天国から応援してね」いつもいつもそのように報告してきましたが、祖父母がお墓の中で一緒になって初めての年にこんな吉報を届けられるとはものすごく感慨深いです。祖父は三原で自営業を営んでおりましたが、「カープが負けちゃった日にはあまり強くないお酒をちびちび飲んでいたもんよ」と祖母からよく聞かされて来ました。お墓で一緒になれたことやカープのこと、もちろんですが祖父母も相当喜んでいることと思います。三原に墓参りに行く前にお墓に向かって届けたいです。おじいちゃん、おばあちゃん、カープが優勝するんよ!!

涙腺崩壊準備万端で最終回を更新しました。毎回の長文をお読み頂きここまでありがとうございました。そして心づもりと準備を整えていきましょうではありませんか!?そうです、いよいよ本番、本泣きの時がやって来ました!!僕らのカープが今シーズンここまで来て、25年分ここまで我慢して貯め込んできたものを全て出し尽くし泣き叫び大声で笑い、旨酒を酌み交わす時が来たんです!!栄冠手にするその日は近いぞ!!

さぁ、広島東洋カープ、25年ぶりの悲願達成・セリーグ優勝はすぐそこです!!

コラム:カープ、25年ぶり悲願へ
  1. vol.1「ぼくらのカープ、ぼくとカープ」
  2. vol.2「広島とカープ、ヒロシマのカープ」
  3. vol.3「1991年、ぼくらのカープ」
  4. vol.4「メイクドラマとBクラス低迷時代」
  5. vol.5「2013年CS初進出そして2016年・・悲願達成へ!!」
  6. 番外編「優勝!!」
writer紹介

稲見 健志(いなみ たけし)

広島市出生。本籍は広島県三原市。父親の仕事の関係上、熊本、京都、埼玉を転々とし、京都の大学を経て在京の広告会社勤務。生まれながらにしてカープファンであり、現在の実家も広島市のためカープ熱が上がらんばかり。関東の球場だけでなく、広島・マツダスタジアムでも団体観戦を組んだり、居酒屋を貸し切って観戦会を主催したりしている。カープの胴上げの瞬間、どこで何をしているか分からないが、オンラインの手帳にはto doリストの一番上に5年前から「カープ優勝のために水分を溜めておく」と記している。

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