カープ

[コラム]カープ、25年ぶり悲願へ vol.4”メイクドラマとBクラス低迷時代”

メイクドラマとズルズル、そして微かな光

今シーズン、カープはオールスターが行われるまでの前半戦で2位の巨人に「10ゲーム差」をつけて首位で折り返しました。ニュースでよく出てくる「メイクドラマ」の再現があるのではないか、とファンはまだ半信半疑、やきもきしていた時期もあると思います。「メイクドラマ」とは1996年に起こった本当の出来事です(そりゃそうですが笑)96年は最大での11.5ゲーム差をひっくり返され、3位で終幕したのです。。あの年は途中にけが人が沢山でて、札幌で行われた巨人戦で打ち込まれた後敗戦、そこからずるずると落ちて行きました。。カープファンがここまで来ても「優勝するぞ」とあまり声高に叫ばないのは、あの時の苦くて痛い経験を知っている人が多いからのように思います。自分自身も、友達との会話の中ではもちろん口にしてしまうことも増えてはいますが、まだこのように文字で残る場所にはあまり記録していないように思います。
今年の8月上旬、2位巨人との直接対決がホーム・マツダスタジアムで3連戦ありました。連戦前のゲーム差は6.5でしたが1試合目、2試合目(ピースナイター)を落とし、3戦目も9回裏2アウトまでリードを許す苦しい展開でした。この試合も落とせば3.5ゲーム差。ここまでの差になってしまうといつひっくり返されてもおかしくない、というようなころまで来ていましたが、その9回裏2アウトから菊池選手の同点ホームランが飛び出し、新井選手の劇的過ぎるサヨナラヒットにつながっていきました。恐らく今シーズン最高にエモーショナルなゲームだったことと思います。この8月上旬の巨人とのホーム決戦、1ゲーム詰め寄られたものの5.5ゲーム差で3連戦を終えたカープ。その後も崩れることなく、というかむしろまたギアを上げ、9月5日現在、2位巨人とのゲーム差はまた広がり、リーグ戦の残りはカープが16、巨人が20試合として14.5ゲーム差となっています。

最後まで分からないので一旦今年の話から戻しますと、96年の大失速を引きずったままか奮わないカープは97、98年も優勝争いに加われませんでしたが、97年には「新人王・澤崎とカープのレジェンド・黒田」が加入します。そして99年、僕は大学入学のため京都に引っ越しました。初めて離れた親元、色んな地方から集まってきて友達を増やしていく毎日。時を同じくして僕の実家も広島市内へ移りました。初めての「帰省」で広島へ帰った最初のGW、父親と市民球場へカープを観に行きました。「これよ、これがカープよ!」原爆ドームと市民球場、禿げたグラウンド、タバコと酒の匂いが充満するライトスタンド、飛び交う野次、そしてここから30分ちょっとで帰れる実家。本当に素敵なものを手に入れた、と思いました。大学でも広島出身の友達が沢山でき、時期を合わせて一緒に観に行き、関西では甲子園に観に行くこともでき、帰省する時の楽しみや関西での暮らしの中での楽しみにも「カープ」が必然的に加わっていきました。大学生活でのモチベーションが高められず、「何となく」帰省しては「何となく」市民球場にカープを観に行った日もありました。

ただ、カープの成績はいつも通りでした。。今ほどインターネットが普及していた訳でもありませんので、TVのスポーツニュースで結果をチェックし敗戦を確認する毎日。関西圏のTVでは阪神戦以外はダイジェスト映像すら流れないまま終わります。両親とたまに電話しても「元気?カープは今日も負けたよ」くらいしか会話がありませんでした。。

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写真(上):恐らく市民球場最後の年くらい。つまり僕ももう社会人に。。

阪神の優勝で実感したこと。

学生生活の終盤だった頃や、社会人になって間もない頃(2003年、2005年)には京都と大阪で阪神タイガースのリーグ優勝を目の当たりにしました。京都の鴨川や大阪の道頓堀で「六甲おろし」を歌いながらどんちゃん騒ぎ喜ぶ阪神ファンを横目に見ながら、「あぁ、いつかカープも優勝して、紙屋町近辺とか太田川一体がこんなになったらいいのになー」って思っていました。阪神の優勝から1週間くらいは、大阪市内の個人経営風な飲食店は「六甲おろし」を流しっ放しでした。巨人が優勝して騒がれることほどには嘔吐感はありませんでしたし、ここまで「街中全体が阪神に狂ってしまう」のを見ることで、僕はカープファンでいながら阪神にも理解は示すようにはなりました。

ただ、やはり「カープの優勝が見たい」その気持ちだけは失わずに甲子園にも市民球場にも応援に行き続けていました。プチ自慢ですが、甲子園に観に行った試合(10回程度)は未だにカープの勝ちしか見たことがありません!ですのでもちろん、「観戦成績が一番良い球場は?」と言えば甲子園、最も悪いのは東京ドーム、ということになります。。しかし、もうそんなことは今ここでお話しすることではありません。どこの球場で観て勝とうが負けようが「25年ぶりの悲願」がすぐそこまで来ているのですから!最終回はCS出場を契機に変わってきた最近のことに触れ、このコラムを締めさせて頂きたいと思います。

コラム:カープ、25年ぶり悲願へ
  1. vol.1「ぼくらのカープ、ぼくとカープ」
  2. vol.2「広島とカープ、ヒロシマのカープ」
  3. vol.3「1991年、ぼくらのカープ」
  4. vol.4「メイクドラマとBクラス低迷時代」
  5. vol.5「2013年CS初進出そして2016年・・悲願達成へ!!」
  6. 番外編「優勝!!」
writer紹介

稲見 健志(いなみ たけし)

広島市出生。本籍は広島県三原市。父親の仕事の関係上、熊本、京都、埼玉を転々とし、京都の大学を経て在京の広告会社勤務。生まれながらにしてカープファンであり、現在の実家も広島市のためカープ熱が上がらんばかり。関東の球場だけでなく、広島・マツダスタジアムでも団体観戦を組んだり、居酒屋を貸し切って観戦会を主催したりしている。カープの胴上げの瞬間、どこで何をしているか分からないが、オンラインの手帳にはto doリストの一番上に5年前から「カープ優勝のために水分を溜めておく」と記している。

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