nextひろしま カープ応援隊です。
今朝からびっくりし過ぎていまだ興奮が冷めません!
午前中は泣いちゃってハンカチ3枚使い切りました笑
皆さんもそうではないかと思います。
大リーグ/ニューヨークヤンキースをFA(自由契約)になっていた
元カープのエース/黒田博樹投手が
カープに戻ることが決まりました!!
黒田投手は2007年までカープに在籍していました。
2015年からの復帰なので、8年ぶりとなります。
この8年の間にカープファンになった方々からすると、
「黒田ってそんなすごいの?」と思われるでしょう。
黒田投手のことをまとめてみました。
◼︎経歴
黒田投手は大阪市生まれ。大阪の高校では甲子園にも出場している
上宮高校を経て専修大学へ。高校時代、甲子園に出場したことは
ありませんでした。プロに入る時、当時は存在していた制度
「逆指名」でカープに入団します。
入団1年目から1軍で活躍しますが、
4年目までの成績は21勝27敗と負けが先行していました。。
5年目(2001年)に12勝8敗、防御率3.03を記録してからの
カープでの7年間で82勝62敗とエースの座を不動のものと
する大活躍でした。
大リーグに移籍してからは
ロサンゼルスドジャース(4年間)で41勝46敗、
ニューヨークヤンキース(3年間)で38勝33敗
の成績を残しました。
◼︎男気
黒田投手について語られている時、よく出てきます。
今回のカープに復帰したこともまさに「男気」ではないかと思います。
大リーグでは20億円近いオファーが複数球団から出ていたそうです。
対してカープは4億円。。。
カープにしては大金ですが、
黒田投手にとっては大リーグの球団と比べ物になりません。
それでも黒田投手はカープを選択しました。
何故なんでしょう。。??
黒田投手は2006年のオフにカープから出れる権利を得ました。
当時は既にカープの大エースでした。
まだ原爆ドームの前にある「広島市民球場」だったころの
黒田投手のシーズン登板最終戦、ライトスタンドを埋めるカープファンが
大きな横断幕を掲げました。
「我々は共に闘って来た 今までもこれからも…
未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら
君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」
この時の横断幕がきっかけで「国内ではカープ」ということを宣言し、
2007年もカープでプレーしました。
黒田投手の名言がここで生まれます。
「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープファン、
カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」
「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。
そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」
一定年数の一軍登録があれば、その年数を経過した時、
チームを出れる権利を持てるFA制度が出来てから
川口和久投手、江藤智内野手、金本知憲外野手など、
「カープで育てば他に行く」というのが通例になっていた中での発言です。
この黒田投手の一言に、当時のカープファンは本当に勇気をもらったものです!!
そして大リーグに移籍してからも
「日本に戻るならカープ」ということを何度も発言していました。
また「戻るなら戦力になる内に」ということも話していました。
そして今回、カープに戻ることになったんです!!
大リーグで30球団相手に勝利する、という大記録を
あと1チームで達成するというのに、です。
カープもずっと黒田投手が大リーグに移籍する前につけていた
背番号「15」を他のどの選手にも譲らず、空けて待っていました。
「ピッチャー黒田、背番号15」
このコールが来年、マツダスタジアムで聞けます!
これだけで鳥肌ものではないでしょうか!!!???
新聞メディアでも報じられましたが、
「高額契約より古巣愛、広島愛」と出ています。
スポーツ選手であれば、良い条件を出してくれるところに
行く人が多いでしょうが、黒田投手はそうではなかった・・!!
広島中が、全国に散らばるカープファン全員が
今日のことを忘れないのではないかと思います。
来年はこの2年間の悔しさもバネに是非優勝してもらいたいものですね!!
こんな年の瀬に、この1年間で最大のビッグニュースだったのではないかと
感じています。
来年も必死に応援しましょう!!
◼︎参考リンク
黒田 悩み抜いて男気の決断 メジャー21億円より4億でもカープ愛(スポーツニッポン)
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